奄美大島の旅④~自然信仰~

瀬武集落でバスを降りると、「高千穂神社」と書かれた小さな木の看板が立っていた。
バスのおじさんは、30年ほど前にこの看板が立って初めて「高千穂神社」のことを知ったと言っていた。

豪雨の中、集落のアナウンスでは「避難勧告」が出ていた。
もちろん人なんて誰も外にはいない。
それほどまでに酷い天候の中、大阪からやってきて意味も目的もわからず島の人すら訪れない「高千穂神社」に向かって今から山の中に入って行こうというのだからキチガイもいいところ。

そう、私はバカだ。

正直者はバカを見る。
人を疑うことを知らず、自分を守ることを知らず、私は昔から素直すぎ正直すぎたバカだった。
精神も肉体も傷付いてボロボロになりながら、それでもバカはバカだった。
バカにしかできないことがひとつある。
それは、疑うことなく自分の信じた道を真っ直ぐに生きるということだ。

少し前に出会った人に言われた。
「あなたの目を見ていると、すごく真っ直ぐに生きてるのを感じる。私はそんな風に真剣に生きてこなかったから」

自分ではただのバカでしかないと思ってる。
別に好きでそう生きてきたわけじゃない。
そう生きるしかなかっただけ。
だから他人に誇れるようなことでもなんでもない。

ただ、そんなバカでも他人には良いように映ることもあるらしい。

加えておくと、私は本当に自分がただのバカだとも思っていない。
バカなりの賢さも自分にはちゃんと備わっていたりもする。

高千穂神社への山道は、今井権現の岩の階段とは違って約200Mの落ち葉の絨毯の上を一歩一歩踏みしめながら登っていくといった感じだった。
細い山道の片側は崖。
足を滑らせないよう慎重に進んでいった。

いつ壊れるかもわからないような小さな木の階段を数段登り、無事到着した。

今井権現もそうだったけれど、それ以上に高千穂神社は山に入る時から大きな自然の威厳を感じた。
だから山に足を踏み入れること自体、とても恐縮する気持ちでいっぱいだった。

豪雨の中で雷の音が鳴り響く。
私は神社の中に入り、無事ここに辿り着けたことにお礼をし、1枚だけ写真を撮らせていただいた。

バスの中で、奄美大島の自然信仰の話をした。
奄美大島では、山の神・海の神・水の神など自然という神に祈りを捧げる行事が多く存在する。

少しづつ衰退している習慣ではあるのだろうけれど、それでもご高齢の方は今でも自然の神に対して手を合わせているとのこと。

私たちの親以前の世代の方々と、今の私たちとは生きてきた環境が違いすぎる。
今のようなスーパーやネットで簡単に食べるものが手に入る時代じゃない。
それこそ、食物を頂くために必要な太陽や雨、土、水、海は何よりの神だ。
自然がなければ、私たち人間は生きていくことができない。
それに、私たち人間も自然の一部。
人間だけが偉いわけじゃない。
私たち人間こそが、宇宙や自然に生かされている。

人間はやりすぎてしまった。
自然や宇宙に対する感謝を忘れ、生かされていることを忘れ、強欲になり傲慢になり大切なものを傷付けすぎてしまった。
それは人間対人間というところでも同じことが言える。

私は決して、文明の発展を否定しているわけじゃない。
人がより豊かにより幸福になることを求めるのは自然なこと。
ただ、過ぎてしまいアンバランスになってしまったものは元に戻さなきゃいけない。

だからゼロリセットが起きる。
ゼロになることで本当に大切なことを思い出す。

そして今、私たちに求められているのは
日本人としての「和の心」を取り戻すことなのだと思う。

陰陽和合

それが統合の時代を牽引する。

日本は世界の雛形だと言われている。
そして奄美大島は日本の雛形だとも言われている。

私は奄美大島という地に残された、日本人としての大切な心を持ち帰るためにここを訪れたのかもしれない。
そんなことを今ふと思った。

続く…