他人と比べることのメリット

 

「ジャッジしない」とはよく言いますが、ジャッジというのは使い方次第で“自分を知る”ためにとても有効なのです。

 

大体、誰かに好意を感じる時って「共感」した時。
共感する時は、他者に対して自分と同じを感じていますよね。

逆に「嫌悪感」というのは他者に対して自分との「ズレ」を感じることから起こるんですよね。
そこで、「嫌悪感」という感情に意識を向けるのではなく、「何が違うんだろう?」と相手との“ズレ=違い”を見ることで自分を知ることができます。

そこから、自分の長所や得意なこと、弱点や改善すべき点が見えてくるのです。
「人のふり見て我が振り直せ」なんても言いますよね。

 

ジャッジとは良い悪いを判断することであり、比較してジャッジせずに、ただ「相手はこうなんだ」「私はこうなんだ」を知るだけに止めておけば比べることには大いにメリットがあるのです。

善悪ではなく、好きか嫌いか、快か不快か。
「自分が嫌だと思う=相手が全ての人にとっての悪」なわけではありません。
相手が悪だと批判する方にエネルギーを使うのではなく、「自分は嫌いだな。私だったらこっちの方が好きだから私はこっちの道を歩いていこう」という風に自分の道を明確にすることにエネルギーを使えばとても建設的に生きてゆけるのです。

 

自分を知るためには必ず比較対象が必要です。
それなしに自分を知ることはなかなか難しいのではないかと思います。
エネルギーの使い方さえうまくコントロールできれば、嫌いな人も大いに役立つ。

 

とはいえ、善悪の判断も私はあっていいと思うんです。
自分軸がしっかりとしていれば、結局のところ自分の世界における善悪は存在するんですよね。
ただそれを相手に向けないようにさえすれば、「私はこう生きていく」自分の世界の自分ルールとして持っている分には問題ないし、善悪の判断のつかない世界ってとてもボヤけた人生になると思うんです。
自分が悪だと思う人や物事とは関わらなければいいわけで、相手を裁く権利はありません。

 

ジャッジ(judge)という言葉には色んな意味があります。
[su_quote url=”https://ejje.weblio.jp/content/judge”](…を)裁判する、審理する、(…を)裁断する、(…に)判決を下す、(…を)(…と)判決する、批判する、非難する、(…を)審判する、審査する、鑑定する、裁判する、判決を下す、(…を)審判する、(…で)審査員となる、判断を下す、断定する、(判断によって)よしあしを見分ける[/su_quote]

 

生きていく上で“判断”ってすごく大事じゃないですか。
好き嫌いや善悪の判断や区別はしても、批判や非難はしない。
それは宇宙にお任せする。
それで良いんじゃないのかな。

 

他者批判なんてしたって何のメリットもないんだし、他人の人生は他人のものだから私たちがとやかく言う権利はないんです。
他人に口出しはしない。

だけど、自分を知るために他人を大いに役立てる。
自分を真っ直ぐに生きるには、自分を知ること。
比較対象となる相手がいてこそ自分という存在が明確に見える。

 

嫌いな人や不快な人が現れたら、それは宇宙が与えてくれた自分を知るチャンス。
大いに比べて有効活用しちゃいましょう。

 

私は一体どんな人?

あなたはあなたのままで完全で完璧です。
あなたの幸せは完全に保証されています。

 

∞LOVE∞
YUKA