言葉のチカラ

 

ここ数日、言葉というものについて向き合う時間を過ごしてる。
「言葉を綴る」「言葉で伝える」
いつのまにか、そうなろうとしたわけでもなく、私は自然にそれをやり、それが仕事になっていた。

 

私は普段、他人のブログやTwitterはほとんど見ない。
昔ほど本もほとんど読まない。
ごくたまに、ピンときて手にした本を読むことはあるけれど、あまり人の文章に触れすぎると体質的に影響を受け過ぎてしまい、純粋な自分の言葉で綴れなくなってしまうことにある時気付いてからは、なるべく自分のエネルギーを保持することを優先してる。

だけど私には唯一たった1人だけ、同じ「言葉を綴る・言葉で伝える」人としてとてつもなく尊敬し、とてつもなく嫉妬する人がいる。
伝え方は私とは違うのだけれど、初めてその人の言葉に触れた時、私の心の中にあった「人に伝えたい」と強烈に想っていたものを、素直に真っ直ぐに美しい言葉で、私の胸の内をまるっきりそのまま表現していたことにとにかく嫉妬した。
「こんな人がいるんだ」という感動とともに「悔しい」とも思った。

嫉妬といっても別に自分と相手を比べて自己卑下しているわけではなく、「私にもできるはず」と思わせてくれる、時には改めて「言葉のチカラ」を思い出させてくれるといった良い影響を与えてくれているというポジティブな嫉妬。
「悔しい」という気持ちは、時に私の中にある潜在能力を引き出してくれるありがたい感情でもある。

 

そして何よりその人の言葉には「愛」がある。
「どんな言葉を使うか」も大切だけれど、それ以上にどんな想いでその言葉を表現するか、その言葉にどんなエネルギーを乗せるかで伝わり方が決まると私は思ってる。

そういう意味でこの数日、私は改めて「自分の言葉の扱い方」について考えてた。

 

ただの自己満足で個人的な日記ブログを書くのなら愚痴でもなんでも何を書こうが構わない。
だけど私がブログやTwitterで言葉を綴るのは、自己満足といえばそれまでなのだけれど、それでも私なりの目的を持ってやっている。

自分の言葉に影響力があることはわかってる。
傲慢に聞こえるかもしれないけれど、その自信がなければそれを仕事にしようとも思わないし、ましてやお金を頂こうなんて思わない。
「自分の言葉で誰かの人生がほんの少しでも光り輝くものになるのなら。」
その想いは、素人ながらにインターネット上で言葉を発信するようになってからこの10年間一切変わっていない。
パソコン画面の向こう側には、「心を持った人」がいるのだということを忘れたことはない。

 

ただ「言葉」は人を元気にも幸せにもすれば、人を傷つける凶器にもなりかねない。
「言葉」には、人の人生を良くも悪くも変えてしまう魔法のような力がある。
私は自分の言葉の影響力を自覚した時、人を傷つけてしまうかもしれない怖さで約3年間自分の言葉を発信できなくなってしまった。
(そこで言葉の代わりに生まれたのが「あずきアイピロー」なのだけれど。)

もちろん今はそんな怖さは微塵もない。
怖れる代わりに私には「責任感」が生まれた。

 

私は私の「言葉」を「愛」を伝えるために使います。
私は私の「愛」を「言葉」を使って表現します。

 

そして特に今回考えたのはブログやTwitter、仕事以外のシーンで、私は自分の言葉をどんな風に扱っているだろう?ということ。
誰よりも自分の甘えが出てしまいやすい最も身近な人に、最も大切な人に「愛」で言葉を伝えられているのだろうか?と改めて考え直した。

 

自分の気持ちを言葉にする事が得意だからこそ、どんなことでもすぐに言葉にできてしまう。
これは時に仇となる。
私は過去、何度もそんな過ちを繰り返してきた。

本音を伝えることと、何でもかんでも思ってることを伝えることは違う。
だから私みたいな人間ほど、言葉の扱いには慎重にならなければいけない時もある。
「愛ある言葉」を発するには、それだけの心の強さも必要になる。

 

そして、誰もが私のように言葉にする事が容易なわけではないということも理解しておかなければいけない。
(私はすぐにこれを忘れてしまう。)

言葉にできないけれど内側には強い想いを秘めている人だっている。

あえて何も言わない「愛」もある。
黙って見守る「愛」もある。

「愛」の表現方法はひとつじゃない。
みんなそれぞれに、胸の内に大きな「愛」を秘めている。

 

改めて、そんなことを熟考した。

 

私にとって、「言葉」は宇宙が与えてくれた人間としての最高のギフト。
私は「言葉」で伝え続けたい。
「言葉」には、人生を変える魔法のようなチカラがあるから。

今一度、自分自身に誓う。

私は私の「言葉」を「愛」を伝えるために使います。
私は私の「愛」を「言葉」を使って表現します。

 

∞LOVE∞
YUKA

 

日常から離れて、たった1人で病院のベッドの上で過ごす時間。
必然としか思えない貴重な時間。
明日の手術もきっとうまくいく。