「許し」を超越する~成熟した他者とのコミュニケーション~

「ありのままの自分を許し受け容れ認めること」と、「ありのままの自分を相手に押し付けること」は異なります。
「ありのままの自分を相手に押し付ける」って、すごく幼稚な行為なんですよね。

例えば、自分が相手に対して<何か伝えたいこと>があるとします。
<伝えたい>というのは自分の願望であって、相手にはそもそも関係がありません。

伝えたいことをわかってもらえない。
伝えたいことが伝わらない。

これを「わかってもらえない」と相手のせいにする人が居るけれど、伝えたいことが伝わらないのは基本的に伝える側の問題です。
<伝えたいことがある>っていうのは、相手じゃなくて自分の願望だから、それを叶えたければ自分で創意工夫して伝わるように伝える必要があるんです。

伝えるためには「言葉」を使います。
伝えるという行為を、「言葉」という物を相手にプレゼントするという風に捉えて考えてみるとね、
相手が受け取りたくないプレゼントを渡して受け取ってもらえなくても仕方ないですよね。
受け取る側にしたら、自分の望んでもいないものを無理やり押し付けられるわけだから、それは受け取ってもらえなくても相手のせいには出来ない。
「伝える」という行為もそれと同じで、相手が望んでいない情報を無理やり押し付けて「わかってもらえない!」って言うのは、やっぱり自分の問題なんですよ。

伝えたいことがあるなら、伝わるように伝える。
相手にとって、それを伝えることでどんなメリットがあるのかを考える。
本当に相手のことを心底思っているのであれば、結局のところどんな言葉を使おうと、ちゃんとエネルギーで相手に伝わる。
だから、「わかってもらえない」って嘆いてしまうのであれば、それは相手のことを想った「言葉」ではなく、ただ単に自分が満たされたいだけの「言葉」なんです。
いわゆるクレクレ星人です。
だって、相手にしてみたら、別にあなたの伝えたいことに興味はないんだから。

厳しいことを言っているかもしれませんが、そういうことなんです。
(「わかってもらえない」ケースには、もうひとつ、相手に受け取る準備ができていないというパターンもあります。が、この場合は、「わかってもらえない」ということに対して怒りや悲しみは伴いません。まだタイミングじゃないんだろうな…と冷静に処理できます。)

過去に「許しのレッスン」という記事を書いたことがあります。

許しのレッスン
「許し」とは「無条件の愛」でもあります。 ここで、よくありがちなのが間違った許しの実践。 多くの人が、許しのレッスンを実践しようとして 他者を許そうとするんですね。 先日も、この間違った許しを実践している方と出会いました。 ...

自分が嫌なことをされても
相手を許そうとする。
自分が傷ついても
相手を許そうとする。

これをやっちゃうと、自分がボロボロになる。
これは本当の無条件の愛による「許し」ではないですよということをお伝えしました。
自分を捻じ曲げて、相手を許すんじゃなくて、自分の感じていることの方を許すのが先ですよって。

 

でもね、もう「許す」とか「許さない」とかを超越しちゃおうよっていうのが今の私の想うところ。
「許す」という概念を持つから、「許せない」という概念が生まれる。
「許す」ことを善とするから、「許せない」ことが悪になって、「許せない自分」を否定してしまったり、相手が悪い・自分が悪いとか、頭の中でややこしいことが起こるわけ。

そうじゃなくて「気にしなくていい」「気にしない」「気にしてない」
これが一番、本当に許している状態(態度)なんですよ。

で、「許す」とか「許さない」とかじゃなくて
相手にただ素直に自分の感じたことや想っていることを伝えたらいいんです。

例えば、相手の発言に対して不快感を抱いたとする。
そしたらまずは、自分の感じた不快感をちゃんと認める。
相手にそんなつもりはなくても、自分が不快感を感じたことは事実だから、それはちゃんと認めればいい。

で、相手が一体何を伝えたいのか?を考えてみる。
もし、何が伝えたいのか?がわからないなら、「わからない」という事実を認める。

そしてそのままを相手に伝えるんです。
「あなたのこういう発言に対して、私は不快感を感じました。そしてあなたが何を伝えたいのかがイマイチよくわかりません。もう一度わかるように説明してもらえませんか?」もしくは「このような伝え方で伝えてもらえませんか?」って。

それでもし、相手が「なんでわからへんねん!」ってなるなら、それはもう相手の問題だから放っておけばいい。
だって、何かを伝えたかったのは相手の方であって、こちらはそもそも何も求めていないのだから(笑)

伝えたいという願望は相手のものだから、それを叶えるのは相手の仕事。

誰もが同じ感覚や価値観を持っているわけじゃない。
だからこそ、自分に伝えたいことがあるのなら、相手に合わせる努力って必要だと思うんです。
それを相手に汲み取れというのは、お門違い。
誤解されるのは、やっぱり誤解されるような「言葉」を使っている側の問題なのです。

でもね、聴く側に相手に対する「愛」があれば、きっと自然となんとか理解しようと努力する。
それが「愛」の関係です。
そして「愛」の関係にある者同士なら、どんなに喧嘩してもぶつかっても、縁が終わることはありません。
万が一、間違った伝え方をしても、乱暴に思える言葉を使ったとしても、何度も修正が起きて、ちゃんと通じ合って、コミュニケーションを通じて愛が循環し、関係性は持続します。
喧嘩ばかりしているのに別れない夫婦ってこんな感じでしょうね(笑)
「好き嫌い」を超越した「愛」の関係。

更に言うと、「真実の愛」には「手放す愛」という愛もあります。
手放すことで互いに幸せであれるなら、お別れしましょうというのもひとつの「愛」なんです。
「愛」の関係性には2種類あります。
①相手と共に在ることでお互いの調和を保てる関係性
②相手と離れることで互いの調和を保てる関係性
(この場合、永遠にではなく、一時的に離れるということもあります。)

この両方の愛の学びと言うのは第4チャクラの課題となります。
実は「愛」の関係性というのは、誰とでも構築できるものではありません。
だから、いくら調和の時代、他者との調和と言っても、決してすべての人と仲良くなるということではありません。
そして、他者との調和以上に、全体の調和(=ホールネス・全体性)を考えることが、第4チャクラの最大の課題でもあるのですね。

と、話が脱線してしまいました(*´Д`)

コミュニケーションとは、エネルギーの与えあいです。
与えたものが還ってくる。
これがエネルギーの法則です。
そして、受け取る側には受け取る自由と拒否する自由があるということも忘れずに。

「わかってもらえない」と嘆く前に、まずは自分が「何を伝えたいのか?」を明確にし、伝えたい人に伝わる工夫をしてみましょう(*´▽`*)

という私の伝えたいことは伝わっているだろうか…(爆笑?)
なにごとも修行ぢゃ!(・ω・)ノ

 

愛のカタチは人それぞれ。
あなたが「愛」だと想えるなら、それでいいんですよ。
その愛を受け取るのも拒否するのも、相手の自由だから。
そして、あなたはあなたの愛が循環する世界で、輝いていてください✨✨✨

✨あなたはあなたのままで完全で完璧です✨
✨あなたの幸せは完全に保証されています✨